あと数日で元号が平成から令和に変わります。
令和の典拠となった万葉集の「梅花の歌三十二首の序文」が詠まれたとされる大宰府政庁跡の周辺や坂本八幡神社、太宰府天満宮などは、現在「令和の聖地」とも称されています。
そして、ここ大田市にも、改元の聖地と言える場所があります。
嘉祥から仁寿への改元
嘉祥(かしょう)3年(850)3月19日、道康(みちやす)親王が仁明(にんみょう)天皇からの譲位を受けて文徳(もんとく)天皇が即位します。
嘉祥4年(851)4月28日、この代始(だいはじめ)を受けて元号が「仁寿(にんじゅ)」となります。
ただし、『日本文徳天皇実録』には、美作国(岡山県北東部)と備前国(岡山県東部)から白い亀が献上されたことと、石見国安濃郡川合郷(大田市川合町周辺)に甘露(かんろ)が降ったことが、縁起の良い前兆であったとも記されおり、この瑞祥(ずいしょう)も改元のきっかけであったとされています。
甘露の降る地
甘露とは、天皇が仁政をおこなうと、天が瑞祥として降らすという甘い液体のことです。それでは、その雨はどこに降ったのでしょうか。
まず、候補として挙げられるのが、大田市川合町に鎮座する石見国一宮の物部(もののべ)神社です。
ここの神井(しんい)に湧き出る水が甘露の流れと言われています。
現在、神井より湧き出る水は、御神水として手水(ちょうず)に流れています。
また、大田市三瓶町には「甘屋(あまや)の水」として親しまれている湧水があります。
この湧水自体は三瓶ダムの建設時に湧き出したものですが、この地域はもともと甘露にちなんで甘屋村と名付けられていたそうです。
そして、大田市久利町には、その名も「甘露寺」と称する寺院があります。
いずれも確証には欠けますが、それぞれ仁寿改元ゆかりの地として、今に伝えられています。
改元と資源
現在、石見銀山資料館では、『資源と改元』と題したミニ展示をおこなっています。
鉱物資源の発見による改元などについても紹介していますよ。