常設展

常設展

[歴史]

戦国大名による争奪戦の後、関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は石見銀山の直轄化を図りました。大森町には陣屋が置かれ、合計59名の奉行・代官・預りなどが銀山附御料(天領)の支配にあたりました。

歴史コーナーでは、江戸幕府の石見銀山支配の諸政策について紹介しています。

 

 

 

[鉱山]

銀の生産過程は、採鉱と製錬という2つの行程からなっています。採鉱は鉱床を見つけ、坑道を掘削して鉱石を掘るもので、製錬は採掘され鉱石から銀や銅などの有用物質を取り出す作業です。

鉱山コーナーでは、採鉱から製錬に至る銀の生産過程や、鉱山の経営や技術について紹介しています。

 

 

 

[文化]

『銀山旧記』によると、石見銀山の最盛期には20万人もの人々が暮らしていたといいます。江戸時代の銀山町は「垣松」という松木で囲まれ、その中には鉱山経営者や労働者のほかに、武士や商人、職人らが生活していました。

文化コーナーでは、銀山町や大森町に暮らす人々に焦点をあて、当時の文化や信仰について紹介しています。

 

 

 

 

[鉱物]

石見銀山の中心である仙ノ山は、約170万年前の火山活動によって形成されました。その内部には、主に銀の含有量の多い鉱物が産出する福石鉱床と、銀や銅、鉛などの鉱物が産出する永久鉱床の、2つの鉱床が生成されました。

鉱物コーナーでは、石見銀山で採取された銀鉱石、銅鉱石をはじめ、全国各地の鉱山の特徴的な鉱物を紹介しています。