この橋から続く道沿いには「中間長屋(ちゅうげんながや)」が建っています。中間とは代官所に勤める下級役人(武士)で、この長屋はいわば現在の公務員宿舎です。
代官所の役人は代官を筆頭に手附・手代らの江戸から来る転勤族のほかに、大森や銀山に住み先祖代々役人として仕えた銀山附地役人らで構成されていました。
このうち銀山附地役人は役人と同心、そして中間に分けられていました。中間の人数は都合21名、俸禄(給料)は切米8俵1人扶持と少額でしたが、江戸後期には武士として苗字帯刀の身分上の特権も与えられました。
彼らは代官所の門番や御銀蔵番のほか、灰吹銀を大坂に上納する際の随行も行いました。