町並み案内 ④ 新町橋(しんまちばし) 大森は代官所がある宮ノ前と、銀山町に隣接する駒の足の両端から中央に向けて町並みが形成されたと考えられています。「新町」は最後にできた場所なのでこの名前が付けられたとのことです。 江戸時代、新町では毎年4月13日から18日までの間に牛馬市が開催され、各地から博労と呼ばれる牛馬の仲買人などが多数入り込み大いに賑わいました。... 2022.9.29
町並み案内 ③ 中市橋(なかいちばし) 江戸時代の大森町は「宮前」・「下市」・「中市」・「新町」・「駒足」の五組に分けられていました。中市橋より上手を「中市」、下手を「下市」と呼んでいました。 下市には大森町最大の商家であり、掛屋や御用達などといった代官所の仕事を勤めた熊谷家があります。掛屋は領内の村から納められる年貢銀を検査・秤量する重要な職務を担いました... 2022.9.29
町並み案内 ② 銀蔵橋(かねくらばし) 銀蔵橋を渡ったところに代官所の「御銀蔵」がありました。そこで、この道を銀蔵小路、橋は銀蔵橋と呼んでいました。 銀蔵小路は熊谷家の横を通っていますが、これは同家が掛屋(かけや)を勤めていたことと関係があるかもしれません。 御銀蔵は銀山で生産された灰吹銀(はいふきぎん)や銀山領の村々から納められる年貢銀(税)、さらに代官... 2022.9.29
町並み案内 ① 長屋橋(ながやばし) この橋から続く道沿いには「中間長屋(ちゅうげんながや)」が建っています。中間とは代官所に勤める下級役人(武士)で、この長屋はいわば現在の公務員宿舎です。 代官所の役人は代官を筆頭に手附・手代らの江戸から来る転勤族のほかに、大森や銀山に住み先祖代々役人として仕えた銀山附地役人らで構成されていました。 このうち銀山附地役人... 2022.9.29